誰かがいて、自分が存在する。

近頃、自分自身の変化をよく感じます。

 

変わりはじめた頃は、

今までの好きだった自分と違っていくようで

寂しい気分にもなりました。

 

でも、新しい自分はこれまでの自分にプラスされたものだと

気付くことができてからは、

変わっていくことが楽しくも感じています。

 

 

 * * *

 

 周りの人から、

あるいは深い付き合いになった人たちから、

いろいろなことを学びました。

 

その主な内容は、人を受け入れることのような気がします。

誰かと時間を共有し、

誰かと仕事を共有し、

誰かと楽しみを共有する。

 

この辺りが、難なくできる人を

小さい頃から羨んでいました。

 

でも少しだけ、

今の私は前の私よりも、

これらを楽しめるようになってきた気がします。

 

 

 * * *

 

年を重ねれば、周りの期待や求められること、

仕事もプライベートもポジションの変化があって、

それに適応することが、

社会で"順調に生きていっている"ということでもあると思う。

 

私はそういったことは得意ではないし、

できればいつまでも、童心のまま、

自分の心情に興味を持ち、

世の中に疑問を持ち、

こうあるべきという理想を振りかざして

青いことを言っていたい。

 

いろいろな経験を積み重ねると、

必要かつ余計な責任や思考が生まれてくる。

これらに適応しようと思うと、

「青いこと」は邪魔でしかない。

 

それでも青いことを言っていられる人でもありたかった。

 

 

 * * *

 

自分らしさ、ペース、考えを貫くということと

周りに順応して日々を過ごすということは、

相反するということだと、これまで感じてきた。

 

だから、ずっと苦しいと思ってきたし、

自分の不甲斐なさが嫌でしょうがなかった。

 

私は小さいころから「生き急いでいる」らしく、

苦しいのが少し減ったのは、

焦りが少しだけ減ったことが大きいのかもしれない。

 

 * * *

 

焦りの根源とは、

自信のなさであり、

劣等感であり、

嫉妬であり、

過信である。

 

長い時間をかけて、

壁を避けることを知らない私は

ぶつかりながら少しは学んできたのだろうか。

 

周りの人とうまくできないと悩み、

ひとりになりたいとずっと思ってきた私は、

その周りの人から、学べるようになり、

それはちょっとした大きな成長なんだろうと思う。

 

ひとりの時も大事、家族以外の人と過ごすことも大事。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    明子 (日曜日, 02 3月 2014 23:54)

    よしみちゃ~ん。よしみちゃんの言葉はとっても伝わる。どうしてそんな風に自分の頭の中の事を文章にできるんだろう。本当に尊敬する。
    よしみちゃんに比べたら私なんて・・・って感じだけども。先日上司と話してて「長いものにまかれてしまっている感がある」と言ったらそれは処世術だと。ほう。ちょっと社会人になった気分(笑)

  • #2

    yoshimit (月曜日, 03 3月 2014 21:29)

    あら〜、ありがとう〜(笑)
    たぶん、何も考えてないからだと思うよ。別の人からは、「素直に書き過ぎる」と指摘されたこともあったり(^^;

    処世術かぁ。。。そういうのも長く社会で過ごすには、必要なんだろうけど、
    でも自分は自分らしくある方がいいよね。
    たぶん、自分らしくあると誰かを困らせるような気がして必要以上に気を遣うんじゃないかと思うけど(自分では)、案外そんなことを気にしているのは自分だけだったり、、、。
    自由に生きよう。せめて心ぐらい(笑)